研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.007


K市の学校図書館づくりで市議さんや教委の方たちが-

 12月は中1の孫娘と2人でペルーからやってきたフォルクローレを聴きに行くことで始まった。楽しかったという。
 秋に練習風景をききにいった長大オーケストラの発表会にも行った。大したものだ。この日のための1年間の練習でそれぞれしっかり自分を大きくしたにちがいない。
 新春のウィーンフィルの長崎公演のチケットも、小3の孫の分まで買ってしまった。高校の教員になりたての頃、「音楽は本物をナマで聴くものだ」と言っていたのをそのとおり実行して音楽好きになったというA君の新聞のみごとな紹介記事を読んで即決めてしまった。中1と小3の、そして僕の初めてのウィーンフィルが楽しみ。
 「本物をナマで」といっても、僕たちの学生時代は、東京にもコンサートホールは日比谷公会堂しかなかった。(今も健在) そこで上田仁指揮のN響など聴いた。あとは、学生寮の近くの目黒公会堂で、その頃毎週放送されていた「富士製鉄コンサート」の公開録画を、これはしょっちゅうタダで聴かせてもらった。ウィーンフィルなど望むべくもなかった。
 大学を出てからは、コンサートへ行く余裕もなかった。芝居は観ていたが、42歳で短大に移り、専門が国語から図書館に変わってますます余裕がなくなり、それも縁遠くなってしまっていた。
 奄美のT図書館のコンクリートうちが終りそうだというので、家具製作所もいっしょに2泊3日で出かける。
 町の担当責任者は若い女性の建築士。初対面のとき、「いっしょにがんばってすてきな図書館をつくりあげましょうね」と言ったときの「はい」と答えた笑顔がすてきで、これはいい図書館が楽しくつくれるぞと思った。日ごとに形をなしていく現場をいっしょにめぐりながら、この人は、平湯モデルでこの図書館ができあがるのをほんとに楽しみにしてくれているなと思う。ただつくりあげるだけでなく、よりよくつくりあげることに喜びを感じる役人さんがもっとふえてほしいといつも思う。
 館長さんも、図面上では、なかなかイメージできなったのが、現場で一つひとつ指さしながら説明していくと分かっていかれるのが実感できた。
 図書館協議会も、私の来島に会わせて開いてくださった。
 後半に私のスライドトークの講演を予定してくださっていたのを「私の話は『こんなT町図書館はいかがでしょう』というタイトルでお話しますので、前半にしていただくと、後半の協議がリアルになると思います」というと、そのまま受け入れてくださった。
 島の方たちにとって新しい図書館の話は新鮮だったようで、私の話が終ると、会長さんの提案で、せっかくの機会だからと、後半も私との質疑応答にあてていただくことになり、予定の時間をこえて熱心な質疑がつづいた。


 3日目の午後は、残った時間で、協議会の会長さんの校長先生をK小学校に訪ねる。今日はちょうど、月1回の、1・2年生の全員が、校長先生から用務員さんまで、クラスをもたない7名の先生たちのお話(読みきかせ)をきく日とのこと。1・2年生は午前中授業で、掃除をすませ、ランドセルを背負って、校長室や校庭の大きな木の根っこなど、思いおもいの先生のところへ行ってお話をきいてから帰るのだそうだ。ちょうどいい日にめぐり合わせたと見学させていただく。
 ほかに、父母の方たちが、全クラスに行ってお話をしてあげる日もあるとのこと。
 前に書いたK市の市立H高校図書館建築のことで、K市の建築課と市教委の担当者と高校の図書館主任に学校図書館に熱心な作家の市会議員も加わって、佐賀の三日月町図書館と今夏大改修した長崎の純心女子中高校図書館を視察にみえた。視察を終えたあとも、JRの最終便まで6名で、市立H高校とK市の小中学校図書館の建築や改修のことなど熱心に語り合った。自治体の担当責任者と学校図書館担当者に議員と図書館の専門家も加わって学校図書館建築についてとりくんだ例は全国にもあまりないのではないか。ぜひ成功させなければならないし、全国にも広げていかなければならないことだ。
 大晦日のわが家は、子ども図書館を手伝ってくれている学生たちの中で長崎に残った男子学生たちに、この春、稚内に就職してはるばるやってきたO君も加わり、にぎやかに暮れて、枕を並べ、いっしょに元旦のお雑煮をいただきました。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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