研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.104


「平湯モデルの話を聞きたい」と新聞記者が訪ねてみえました。

 平湯モデルで図書館の改修をした南山高校の新しい試み、「読書科」の取材に行って、ぜひ平湯モデルの話を聞きたくなったので」と、3時間半も熱心に話をきいて帰られました。こんなことは初めてのことです。
 長いこと、新聞やテレビの取材にはあまり良い思いはしませんでした。まず、「司書」の説明からしなければならなかったのです。また、図書館の取材に見えるのは、かけだし記者が多かったようで、なかなかいい記事にしてもらえませんでした。今回はちがいました。知識や考え方が豊かで、しっかりしていて「さすが新聞記者」と思ったことが幾度もありました。記事にするための取材でもなく、ただ、図書館にとって施設がどんなに大切か、南山高校を見て、思うことあって、わざわざ訪ねてみえて、次々と質問をされたようでした。うれしいことです。


日本の学校図書館の変革をいつも先頭でリードしてきたS氏の仕事部屋を訪ねました。

 日本の図書館全館種のナショナルセンターのトップの要職からも大学の勤めからもやっと開放されたS氏の京都の嵐山に近い仕事部屋を訪ねました。もう、40年近くも前、大学の研究室を訪ねて以来のことです。目的は、日本の西の果てで、ほとんど1人で情報を集め、思考、判断して仕事をつづけてきたことを、確かめ、オーソライズするためです。実際は、楽しいおしゃべりで、十分とっておいたはずの時間もあっというまにすぎ、あとは近くのステーキハウスで夕食しながら、また、東京のホテルにその日のうちに着けるぎりぎりまでおしゃべりし、遠からず訪ねることを約して別れました。
 私の図書館づくり人生は、がむしゃらで、大変で、しかし充実した楽しいものでしたが、関東や近畿の人たちとちがい、情報や判断を分かちあう仲間がほとんどいないなかで、1人きりでやらなければならないのが大変でした。
 今から40年ほど前、九州・沖縄の8県は、全国47都道府県の中で、最下位からほとんど繋がって並んでいたほどでした。その中でも長崎県は、宮崎県と、全国で最下位を争っている状態でした。そこにテコ入れしようととりくんだのでした。それには、そのおくれた現状の把握・分析とそれを変革する明快な理論・方法が必要でした。
 その後、九州・沖縄の躍進はめざましく、長崎県は、今、全国の中ほどまでになりました。私たちもいくらかの役割をはたしたはずと思っています。九州・沖縄のように、ブロックの仲間たちで長くまとまってうごいたところも、私のような生き方をした個人も、全国にあまり例がないかと思っています。近くに仲間がいないとできないことです。とにかく仲間の密度が薄かった。旅費も大変でした。そして、民主主義も地方自治も市民運動も格段におくれています。
 S氏との久方ぶりの語り合いは、その長年のうつろさを埋めるものでしたし、不確かだったことを確かめることもできて、満ちたりた思いでした。


公共図書館は発展途上、学校図書館は発展の緒についたばかりです。

 公共図書館も学校図書館もどのようにして長い停滞をうちやぶることができたか。それは、 明快な理論と方法によってです。その理論と方法は、まず、以下にあげる『市民の図書館』によって示されました。私はこの小さな1冊の本で目が開かれ、つづいて、日野をはじめとする全国の新しい図書館をくりかえし訪ね、前川氏ご本人にも会い、自分のやり方を確かなものにしました。図書館員で、右にあげる3冊をよんでいない人はおかしいと思うし、これらを配架していない図書館もおかしいと言っていいでしょう。


<左>は、51年前、日本の図書館に革命をもた らした日野市立図書館の方法を明快に示したもの。 <中>は、その新しい日野市立図書館の心を絶妙な語りで示したものです。 <右>は、中をさらにふみこんで1冊の本に書きおろしたもの。その1年後には、『移動図書館ひまわり号』が出ましたが品切れかも。中は平湯に注文されたし。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


研究所だよりの目次へ戻る




関連するエントリー

最新のエントリー

エントリー一覧へ >