研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.97



デザインの話がこんなに大きな話題になったのははじめてでしょう。

 デザインにかかわる者のはしくれながら、納得できないことが多すぎます。国立競技場のコンペの審査委員長安藤氏は、「私はデザインを審査しただけです」とうそぶいて、みごと逃げきり、不問となりました。これはひどい。もののデザインは、小さなアクセサリーなどから、巨大な建造物まで、それがどこに置かれるかをぬきに考えられないはずです。あの神宮外苑の中に建造されるということを全く考えず、競技場そのもののプランだけを見て入選させたことが決定的なまちがいではないでしょうか。(費用への配慮も建築家ならのがれられないでしょう)
 明治神宮外苑は、多分、ロンドンやニューヨークのどまん中に広がるハイドパークやケンジントン公園やセントラルパークなどを参考に、西の明治神宮の森と併せて設けられたものではないかと思ってきました。ハイドパークもケンジントン公園もセントラルパークも終日開放されていますが、明治神宮の森は入れるところはほんの一部で、しかも開苑時間に限られています。近くの新宿御苑は、開苑時間に入園料を払わないと入れません。都心部では、神宮外苑と上野公園だけが、終日、自由に利用できる、都民に親しまれた公園だと思ってきました。神宮外苑は、昔のよさは失われましたが、それでもしっかりデザインされたものだったはずです。空き地でも新開地でもありません。あんな強烈なデザインを選ぶセンスが分かりません。それにしても、都心の広大な皇居のような開放されない存在は、世界に類例があるのでしょうか。
 調和を大切にした外国の歴史のある都市に比べ、自己主張の強い日本の建物はなんとかならないものかと思ってきました。もう40年ほども前、熊本城公園の森にひそむように建てられた熊本県立美術館にうなりました。ルコルビュジェに学んだ前川國男の設計だったのです。上野駅から上野公園に入ったところにある国立西洋美術館の設計は、そのコレクションが、フランスとゆかりが深いこともあり、ルコルビュジェに依頼し、のち、増築のときも氏の弟子である前川國男に依頼しました。それは、外観が上野の森の入口にふさわしく、よくなじませてつくられているだけでなく、館内からも、床までガラス貼りにして森につながるよう配慮されています。国立競技場の設計は、設計者にも、審査委員長にもこのいちばん大切なところが欠けていたと思います。
 現代のデザインは、また、コマーシャリズムに隷属して食っているだけで、本来の大切なものを失っているものが多すぎるように思います。吹けば飛ぶようなものが多すぎます。エンブレムもその風潮に関係ないでしょうか。歴史の試練に耐えた、世界遺産に学ぶべきです。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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