研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.96


日本一熱い熊谷へ学図研大会にいってきました。

 図書館関係の研究大会の中で、これも、ダン突熱い、充実した大会で、今年も380名もの参加でした。毎年、子どもづれの参加が多いのも楽しいことです。いつも子どもづれの参加だったAさん夫妻が、今年は、旦那だけで3人の子どもをつれて、奥さんが見えません。聞くと、4人目の出産とか。頼もしい。しかも地元埼玉とあって、大会実行委員でせわしなく立ちはたらいているとは、私たちの世代では考えられなかったこと。りっぱです。
 講演は、これも日本一の図書館人竹内悠さんで、いただいた名刺も、いつもの年賀状と同じ手書きのガリ版刷り。40年ほども前、初めて訪ねて、沢山学んだ、アメリカ西海岸の図書館視察ツアーの団長でした。帰路は別れて、先生は、ピッツバーグ大学へ、確か日本人初の図書館学の学位受領に行かれました。


夜の懇親交流会での自己紹介のとき、最高齢参加の記録を自慢しました。

 「今年も、講師竹内さんを除けば、参加者中ダン突の最高齢のはず。さてこの記録、破られることがあるか?」と話したら、31年前の発会のときから長く事務局長をつとめ、この3月、定年後の5年も終えていよいよリタイアというBさんが私の席にやってきて、「平湯さんいくつ?」とたずねました。「ウン十ウン歳よ」と答えると,「そうか。それじゃ、あと十ウン年か。なかなかだね」と言うから、「がんばって。しかし、この分じゃ、僕、まだ5年、10年は大丈夫そうだから、ウン十年もがんばらなきゃならないかもよ」。「うーん。しかし、僕は、第1回から皆出席だから」。「そっちは、負けた」。
 もしや、Bさん、ひそかにこの「皆出席」の記録をいつか自慢してやろうと思っていたところへ、僕が突然、「高齢参加」の記録をもち出したので、思わぬ伏兵に僕のところへやってきたのでは・・・。「皆出席の記録は破られようがないのだから、あとウン十年でもがんばって、二つともあなたが記録とってよ。リタイア後にこそできることはいっぱいあるのに、定年で参加しなくなったり、退会する人が多いから、我々ががんばって、手本を示そうよ」ということになりました。


大会終了後のオプションに、平湯モデル採用の本庄高校見学が加えられました。

 会場の熊谷市から西へ車で50分、渋沢栄一の郷里を通り、埼玉県立本庄高校へ。
 3日間の大会終了後、遠くからも参加していただいて、本庄高校司書の堤さんは、準備万端、校長先生も歓迎していただいきました。それなのに、私の話がいまいちで申しわけないことでした。年を重ねて熟練していなければならないはずなのに、ときおりうまくいかないことがあります。
 校長先生は、私に会えるのを楽しみにしていたと言い、新築で地域開放になり、喜ばれていること、本庄市は、全盲で『群書類従』を編纂した塙保己一の出身地であり、記念館もできたということを、いとおしむように話してくださいました。保己一はヘレンケラーを勇気づけたことでも知られています。きっと、生徒たちにも、この調子で話されるのでしょう。教育にとっても、図書館にとっても、大切なことはアイデンティティを養わせることです。



 平湯モデルの本庄高校で。  校長先生も司書の堤さんも、地域開放の住民も含めて利用がぐっとふえましたと喜んでいただきました。


原爆、終戦から70年ということで、テレビも映画も関連ものがつづきました。

 「日本のいちばん長い日」(新・旧共に)、「ビルマの竪琴」(第1作?)、「母べえ」・・・・。 沖縄戦、硫黄島玉砕・・・・。戦争はほんとうに悲惨、無駄、愚劣極まりないということをあらためて。安保法案の審議中に迎えたことはタイムリーだったかも。
 私の小学生の頃、日本はまさにその、軍国主義、国家主義の真最中。そして敗戦によって、 一転、平和と民主主義の日本に生まれかわりました。しかし、それもつかのま、中国革命と朝鮮戦争で、また逆転再軍備に。その時、政治でも防衛でも、戦犯で刑務所にいた人たちが釈放されて、小さくない役割を果たして現在に至っています。「昭和天皇実録」や沖縄戦や旧満州の関東軍などでいやというほど見てきた、だらしない政治家や国民を守らなかった軍隊は、今度は、ほんとうに「国民の生命や平和な暮らし」を守ってくれるのでしょうか。ベトナム戦争やイラクなどで、あんなひどい過ちを犯してきたアメリカという国を、ほんとうに頼りきっていいものでしょうか。ほんとうに暑い夏でした。


「お話魔女の会」の打ち上げで、「長崎・子どもによい本を!の会」の話をしました。

 「魔女の会」は、私たちの図書館づくり運動の本格的な出発点である「長崎・子どもによい本を!の会」から始まったので、その頃の話をしてほしいと言われました。ボランティアの方たちへのお礼を含めた反省会と思ったので、私の話は最初ちょっとだけと遠慮したのに、図書館の話で3時間もちきりでした。夜も電話で1時間あまりつづいて、嬉しいことでした。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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