平湯文夫の研究所だより No.94
父は、自分の職場だけ、自分の国だけにとじこもって生きるなと言っていました。
40年ほど前、初めての外国アメリカの地に降りたった時、まず驚いたのは、女性が胸をはって歩いていることでした。日本の女性の歩き方には、従属させられて生きてきたことがはっきり現れていると思いました。自分も従属させて生きてきたことを思いました。
最近インドネシアを訪ねて、なにより強い印象は、子どもたちから大人まで、屈託がないと いうことでした。ここには、不登校も学級崩壊もないはずだと思いました。小中高、大学、公共から、国立図書館まで、私の基準のマナーを守れば、写真撮影もすべてOKでした。日本人の過度のコンプライアンス(遵法精神?)が、自ら生きることをつまらなくしていると思っています。先進国も後進国も、ほんとに行ってみるものだと思いました。
30余年前から、度々沖縄を訪ねて、インドネシアに似たものを感じてきました。公共図書館を訪ねると、館長さんが、館員に、「一日先生をご案内して、たくさん勉強させていただきなさい」といったぐあいです。日本の図書館が大きく動きはじめた頃ですから、勉強させてあげられることはたくさんありました。車で案内してもらう私がありがたかったのは勿論です。
ある訪沖の折は、普天間基地で知られる宜野湾市の職員の方が、私が訪沖していることを伝えきいて、探しあててこられました。「明日は、宜野湾市立図書館の開館式です。ぜひご出席ください」とのこと。開設準備の頃、市の幹部職員と準備室の方たちに一度お話をしたことを覚えておられて、わざわざ私を探して伝えてくださったのです。
日程の都合もつき、出席することにしました。すると、それを伝えきいた学校司書の方たちが、10名近くも、車をつらねて、いっしょに参加されたのです。「招待状なしでもいいの?」。「大丈夫ですよ」。なるほどオープンな楽しい開館式でした。そのあと、いっしょに、学校図書館などいくつか訪ねて、勉強しました。本土では考えられないことです。懸命に学び、実践してきた図書館のことを、懸命に学びとってもらうことほど嬉しいことはありません。その頃から、沖縄では、全県400校近くある小中学校のほとんど全校に専任の学校司書がいたのです。
現役時代の前半で公立学校を、後半で私学を経験したのはよかったと思っています。
リタイア後は、公立とも私学ともかかわっていますが、私学の方がずっとオープンで、教育そのものに熱心のように思います。公立はとらわれていることが大きすぎて、肝心の教育そのものがおろそかになっていると思います。
例えば、先月書かせてももらった京都の私立の小学校など、改修のことで最初訪ねたとき、事務局長、図書主任、司書教諭(図書館専任)、司書の方々といっしょにお話をしたのですが、事務局長さんから司書まで、全く対等に卒直に話されて、さわやかでした。公立では、上の人だけ話して、下の人はつつましくひかえておられるのが普通です。こんな風通しのよい学園だから、すばらしい図書館活動ができるのでしょう。ここを訪ねることになったそもそもが、私立学校の全国大会で、私が京都に行くことを知られた、中高等部の先生が、「その折、寄っていただけるかもしれないからお願いしてみては」と、小学部の司書さんにすすめていただいたことからでした。
こうして、とんとん拍子で改修がすすみ、訪ねるたびに校長先生までも必ず図書館に来て歓迎してくださるのですから、こんなに嬉しいことはありません。教育委員会でも公立学校の現場でも、なかなかこうはいきません。良いにきまっていることもなかなかできないのです。
リタイア後、私企業とも仕事をしていますが、役所よりずっと良いところがあります。
よその国やよその地域を経験するのもいいけれど、私企業との経験もいいものです。お役所仕事といいますが、前例やまわりにとらわれて、良いことと分かっていても、なかなかとり入れられないようなことが、私企業には、あまりないように思います。首長さんや議員さんたちが、世の中を良くしようと、政治の方でせっかく道を開いていかれても、それを実施する行政でだめにしてしまっていることが、たくさんあるように思います。
一方、お役人さんのミッションと熱意で、ここまでできるんだと感激してしまうほどの経験も幾度もしました。行政の方たちが、世の中をよくしていくことこそが自分たちの仕事なのだという肝心のことを、よく認識して、少し勇気をもって仕事にあたられさえすれば、国もまちも、もっとうんとよくなるはずです。
父が言ったことも、自分の狭い世界だけに生きていては、こんなことも分からないまま人生を終わってしまうということだったのかもしれません。