平湯文夫の研究所だより No.86
ノーベル賞受賞者ともなるとやっぱりりっぱです。
いちばん若い中野さんが、まず言ったこと。「電灯もなく、本も読めない世界中の子どもたちに電灯をとどけてあげたい」と。LEDは消費電力が桁ちがいに小さいので、電柱などの配線工事なしに、太陽電池でも十分だからだそうです。「まず、子どもたちに本が読めるようにしてあげたい」というのがすばらしい。日馬富士を送り出すとき、お父さんが、「ひもじい思いと、寒い思いをしなくてよくなったら、人のため、世のためになることをしなさい」といったのと同じくらいりっぱです。
すばらしい『ひみつの王国-評伝石井桃子』が出ました。
(尾崎真理子著、新潮社刊)
600頁に近い力作です。よくこれだけのものを調べて書きあげてもらったと敬服あるのみです。とりわけ、子どもの本にかかわる以前の、いわば、その準備の頃から明らかにされたところがありがたい。菊池寛のもと文芸春秋社を中心に、えがたい出会いと経験も明らかにされています。私も一応、日本の近代文学を学び、子どもの本も少しはかじってきたので、私が学び生きてきたところと、そっくり重なるところがあって、たっぷり楽しめる本です。
石井桃子は、感性豊かで骨太な人です。最初に読んだ岩波新書の「子どもの図書館」で、その内容と文章に圧倒されました。私が経営していた短大図書館に、5冊入れたものが、たちまちすりきれて、幾度も補充していったことを覚えています。つづいて、『幼なものがたり』、『児童文学の旅』『幻の朱い実』などで読んできた氏の生涯が、これでととのえられた感じです。
太宰治がほんとうに好きだったようです。村岡花子とも家庭文庫のことでお仲間でした。
101歳でなくなるまで、しっかり健康で、最後まで仕事をつづけられたこともほんとによかった。子どもの本や図書館にかかわる人は、ぜひ読んでほしいと思います。
日本の子どもの本や読書のことで、生涯をかけた人はたくさんいます。しかし、それらをしっかり導いた人は石井桃子でしょう。同じく、日本の公共図書館づくりと学校図書館づくりに生涯をかけた人もたくさんいます。しかし、この人なしには仕上げられなかったのは、公共図書館づくりでは前川恒雄さん、学校図書館づくりでは塩見昇さんだと思います。このお二方についても、お元気なうちに、しっかり聞き書きなどして、こんな本を残したいものです。
膝をくじいて50日、なんとか出張できるようになりました。
まず、中国地方の、今、日本で最も著名な人の1人、A氏の経営されるB学園の新しい図書館計画のお手伝いに訪ねました。こんなりっぱな方がおられる私学のお手伝いをするのはほんとに気持ちがいい。いい図書館をつくろうという、たしかな思いがあるからです。
翌日は、「大変りっぱな図書館ができたが、利用が少ない。見てほしい」という大学図書館を訪ねました。なるほど、ご多分にもれず、あまりにりっぱで、「親しみがもてて心地よい」ものとはほど遠いものでした。この夏、東海地区の大学図書館の方々にお話したあと、自分の大学図書館をぜひ見てほしいという申出があっていたのです。愛知からも、プロジェクトチーム総出で、図書館側からも4名、みんなで、3時間余にわたって、どうしたらよいか、知恵を出しあいました。その次の日は、愛知の本社で勉強会。
その次の日は、高崎と前橋で4つの保育園、幼稚園を訪ねて「えほんの部屋」づくり。
あとの2日間は、東京で全国図書館大会。学校図書館の分科会は、学図法改正のあとでもあり圧巻でした。1日目の午前中は、評判の明治大学和泉校舎の新しい図書館を訪ねました。集密書架の書庫を全面開架にしたのはりっぱです。何10万冊の古い本が手にとって見られるのはほんとにすばらしい。時間ぎりぎりまで、はまってしまいました。