研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.82


「研究所だより」が5年ぶりに2月おくれになってしまいました。

 5月31日号で「とうとうウン十歳になりました」などと書いたあとだったこともあってか、気づかってくださった方もあり、こんな方も読んでくださっていたのかと嬉しく思ったりもしました。
 平湯モデルが少し勢いがついてきたということは、あれこれ、あちこちで問題もおきるということになります。一方、体と頭の疲れも早く、老人力をさしひいても仕事がたまるということになります。体調は悪くありません。
 おっかけておくれをとりもどそうと思っています。


ディズニー展を見に行きました。私の直感を確かめたくて。

 本欄の61号で「ミッキーマウスには媚びしか感じられなくて受け入れられません」と書きました。こんな自分の直感は正しいのか確かめたいと、行くことにしました。
 東西冷戦が始まった頃、アメリカ上院議員のマッカーシーを急先鋒とする赤狩りが全米を吹き荒れたとき、ディズニーは、ハリウッドからチャップリンをはじめすぐれた映画人たちを追い出す急先鋒だったらしいこと、また、あのニューヨーク公共図書館の児童室を育てあげたセイヤーズ女史が、「ロサンゼルス・タイムス」紙上で、ディズニーに対して「子どもの伝承文学の卑属化と創作作品の不遜な改ざん」の責任を問うたことなどを知る人はもう少ないでしょう。
 ディズニー映画を見たのは、「砂漠は生きている」などわずかです。ディズニーランドは隆盛の一途。しかし、ちまたに溢れるキャラクターグッズもディズニー絵本も受け入れられません。なのに、欧米でも日本でも、図書館で、ディズニー絵本もディズニーキャラクターも見かけないように思うのはホッとすることです。やはり、図書館にかかわる人たちは、暗黙のうちにも、ディズニーを受け入れない感性を持ちあわせているのでしょうか。


 幼稚園や保育園で、かわいい月刊絵本の4月号で、年間購読の契約をとる競争は今もつづいているのでしょうか。もう昔のこと、福音館の松居さんが、「かわいいことは、美でも真実でもない。かわいいを連発するのは、子どもよりも、母親であり先生たちです」というような趣旨のことを、松居さんらしいおとなしいことばで言っておられたような記憶があります。正岡子規の「写生」も、柳宗悦の「用の美」も、笠智衆や大滝修治の自然なせりふも演技も、みな媚びや受けねらいでない、人間や自然そのものの美しさや真実を大切にするものだと思います。現代社会は、テレビを中心に媚びや受けねらいやお笑いやコマーシャルが氾濫しています。
 これでは、人の感覚は麻痺するばかりです。そこに受けねらいのコマーシャルで、化粧品にサプリメントに薬品、洗剤、美食・・・・私たちの子ども時代にはほとんどなかったものがあふれています。そして、人のからだも心も地球もとりかえしがつかないほどそこなわれているように思えてなりません。もう200年も前、「暮らしは低く、思いは高く」(低く生き、高く思う-内村鑑三訳)とうたったワーズワースはほんとに慧眼です。
 人間も自然も、そのままで、深く知れば知るほど美しく感動的なもの、笑顔は大切でも、媚びや受けねらいや、度のすぎたお笑いなどいらない。そのままの美や真実を見抜く感性こそなにより大切で育てていかなくてはと思います。


 人生の後始末をしているとなつかしいものばかり出てくる。高校生や短大生が描いた似顔絵もいっぱい。30年も前、ブックフェアーというのがはやったころのが上のもの。その頃のニックネームはブックヘヤー。ニックネームもいっぱいつけられた。僕の耳に入ってこない、愛称などはいえないものの方が多かったかと思う。似顔絵も同じ。  下のは、「純心女子短大のプロフェッサー紹介」から。それにしてもうまいやつがいた。



この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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