平湯文夫の研究所だより No.80
妻が小6から高2までを過ごした、鹿児島県北部の農村を訪ねました。
余命わずかとなるとやっておきたいことがいっぱいです。妻も、今年はいよいよウン十歳で、5年ごとにやっていた中学の最後の同窓会ということで、介護かたがた同行しました。50名も参加して、それは楽しいつどいだったそうです。
翌日は、妻の思い出の地をたどりました。まず、住居跡に立ってゆっくり話をきき、そのあと道一つ隔てたお寺を訪ねて、ご住職ご夫妻に、思い出話などの相手をしていただきました。お寺にはお年寄りたちがたくさんたずねてこられるので、なんでもほんとによくご存知で、みちたりたひとときを過ごしました。
先日、99歳で他界した義母がこの家で生まれ育ったのです。10人兄妹で、9人は満州へ渡って、2人は死亡、残った7人の子どもたちの家族がみんなで、この実家におしかけて暮らしていたというのですから想像を絶します。旅の間中、終戦以後の話をききました。それは、山崎豊子にぜひ書いてもらいたかったほどのことでした。朝ドラの「花子とアン」の環境に近かったことは、私も同じ頃、長崎県の農村で育ったのでよく想像できます。そのあと、親しかった友だちの家の跡や、小学校、中学校、高校のあとなどをめぐりました。
全蔵書120万冊を全開架している大学図書館を見ました。
平湯モデルが大学図書館長さんの目にとまり、東海地区の大学図書館協会の総会でお話することになったので、同地区の大学図書館の現状を見せてもらうことにしました。最近、新しい長崎県立図書館のことを考え、沖縄県立の新築のことで招かれたりして、大規模館の開架の少なさをあらためて考えています。そして、どこの県立や大学図書館の人と話しても、閉架を当然のことと考えておられることに納得できないでいます。80年以上も前に、ランガナタンが言った「本は使うためにある」ということがまだ理解されていないのではないか。40年近くも前に見た、UCLA(カリフォルニア州立大ロサンゼルス校)の膨大な蔵書の開架を見た感動が忘れられません。
まず、名古屋大学中央図書館へ。地下1階から4階まで、解体新書とか百科全書などの貴重書庫以外、いわゆる書庫らしいところはどこにもなく、全館利用者のいる開架になっていました。中央図書館は、全蔵書120万冊が原則全開架だそうです。
つづいて、中部大学も訪ねました。なんとここも原則全開架だそうです。ただし、こちらは、書庫として設計された地下の1,2階も開架にしているということで、これから木を使ったりして改修していかれると、利用がふやせると思いました。
UCLAは、各階の要所に1人ずつ司書がいたことがなんともすてきで、名大は、どこにもキャレルなどあって、ごく自然に利用されているのがすてきでした。
また、中部大学の司書さんが、交換研修を経験された姉妹校のオハイオ大学の図書館も全開架だったそうです。日本でも、筑波大、琉球大、早稲田、慶応、上智、津田など大規模館でもほとんど全開架のところがけっこうあるようです。大規模公共図書館にもこんな例があるのでしょうか。
開架が多くなることで、かえって利用しにくくなるとか、なくなるとか、破損、収蔵量のことなど、いろいろ言われますが、最初の利用の問題は、ポピュラー部門とリサーチ部門に分けることで難なく解決することで、他も問題ないと思っています。日本の図書館員は思考停止状態とさえ思うほどです。