研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.79


軽井沢の内村鑑三記念堂や石の教会などを訪ねました。

この教会はすてきでした。

 学生時代、スケートに行って以来の軽井沢は、先日の未曾有の雪が、まだうず高く積みあげられたままでした。1年の1学期だけいた都立高校で親しかった友人が、父は無教会派のキリスト教徒だと話したのだけ覚えているだけでしたが、その後、内村鑑三を知り、その友人と同じ姓の名前を本の中に見かけたりしていくなかで、鑑三の存在が大きくなっていきました。教えられた林の中を行けども行けども建物らしいものは見あたらず、そのまま石組みをたどっていくと、それは地下にあったのです。資料展示室も教会もすばらしく、軽井沢をこよなく愛したという鑑三にふさわしいものでした。絵本の森美術館も訪ねましたが、その中に吉田新一の蔵書などがずっしり集められていたのが心に残りました。


気骨があるとみていた図書館員のいるさる関東の県立図書館を訪ねました。

 研究調査のフロアの郷土資料が圧巻で、迫ってくるものがありましたが、リサーチライブラリーのフロアとしては、郷土資料以外の資料が淋しいと思いました。長崎の人たちの頭の中にも、研究、調査としては、郷土資料のことしかないように思われますが、東京に近いここでも、やはり、こんなところかという気がしました。図書館は、利用者のニーズにあわせることも大切ですが、図書館側で、他の分野の資料も豊かに魅力的にすることで、利用を広げていくことも大切なことなのにと思いました。広さが、現在の倍ないとむずかしいとも思いました。
 市民の図書館が、半世紀も前に始まった、東京、名古屋、近畿などの大都市と地方ではやはりちがうのは仕方のないことなのでしょう。図書館先進地の中央図書館などで、個人全集などがすりきれたりしているのを見るともう感動してしまいます。
 私は、ここのところ、長崎県立図書館のことから、ポピュラーライブラリーに対するリサーチライブラリーのことを考えつづけています。


埼玉県立高校で平湯モデルの第1号館ができました。

帰りの機上からの雪の日本列島は、エベレストかロッキーのようでした。

 これまで、埼玉県でも何人かの県立高校の学校司書の方ががんばってくださったのですが、なかなかでした。今回は、なんとか平湯モデルといえるものができあがって嬉しいことです。
 前任の司書さんが、幾年もかけて、根気強く1個ずつでも入れてくださって、事務の方も誠意をつくされ、バトンタッチされた司書さんも、しっかり受けとめてくださって、実現されたようです。いよいよ据えつけのときに伺うと、私が行くというので、前任の司書さんもわざわざ見えていて、3人の方たちが揃って迎えてくださったことに、ほんとに喜んでくださっているのがよく分かりました。埼玉福祉の地元にできたのですからまた格別です。

地元長崎では、活水に続いて青雲高等・中学校にも平湯モデルができました。

 活水学園では、K先生が、学園の紀要に論文を三つも書いて平湯モデルを入れていただきましたし、青雲では、外部からF先生が、活水の図書館を見に行くようにすすめてくださったりして、平湯モデルに決まったことを最近知りました。据えつけの日、ほぼできあがったところで両先生にもご覧いただくことにしました。それぞれ、そんなにスムーズに進んだわけではありません。図書館をよくしていこうという思いの人たちが懸命になってくださって広がっていくのです。どこでも、できあがったら、まず生徒たちに、そして先生方にも父母の方たちにも、必ず喜んでいただけます。オープンキャンパスでも、受験のときの待ちあわせの部屋としても、必ず学園の目玉になりますから、自信をもって進めてくださいと言います。こうやって少しずつ勢いをつけていくはずだと信じています。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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