研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.76


東京→長野県佐久穂町→鹿児島県川内・国分→錦江湾高校へ

林さんの錦江湾高校図書館のBefor Afterはほんとにすばらしい。事務長さんや生徒たちやボランティアの協力がえら れたらここまでできるのです。

 東京で時間があったので、神田の古本屋街を3時間ほど。そして、先月据えつけを終えた佐久穂町へ。今回は、5つの小中学校と町立図書館から司書の方たちに集まっていただいて、引越しと配架などの指導に。すべては訪ねられないなので、マニュアルをつくらなければ――。
 羽田から鹿児島へ飛び、川内や国分の保育園や幼稚園の絵本の部屋づくりのお手伝い。
 翌日は、土曜日で休日なのに、午前中は武岡台高校に、午後は錦江湾高校に、県内各地から小、中、高校の司書の方たちが30名ほども集まってこられて自主研修会。林美智子さんが、先に、小中学校の研修会で錦高の実践を話されたということで、その錦高図書館を見たいと参加された方も多かったよう。小、中学校の司書の方たちにも実際に見ていただけたのは、とてもよかったと思う。「生平湯に会える」と、参加された小中の司書さんもおられたとか。次回は、小中学校でやりましょうと提案した。
 終わって、煙を吐く櫻島を正面に見るレストランでのうちあげもよかった。誕生日のプレゼントに、電動丸鋸を希望したという若い女性司書さんの話も楽しかった。チェンソーまでもっている司書さんも埼玉にいたりして頼もしい。


沖縄県立図書館が建てかわるというので本土からも4名出向いて講演会。

 前日は、新築なったばかりの那覇市役所で、準備中の那覇市立8番目の分館づくりについて、教委や議員さんや地域の方たち20名ほどと語り合って、思いのほか喜んでいただいた。
 東大の根本さんは、「平湯さんが書かれたものは早くから読んでいました。今日は、聞けないで帰らなければならないのが残念です」と。昭和女子大の大串さんは、私のが終わって、「分かりやすくおもしろかった」と。
 沖縄県立図書館初代館長、沖縄学の父伊波普猶の「図書館は知識に隔てられた9割の人たちのためにこそ開放されねばならぬ」ということばから始めました。喜納勝代さんや中部から金城さん、浦添市立図書館の森田くんは同僚2人を伴ってきてくれました。
 翌日は、建てかえ計画中の大学図書館について相談にのりました。
 沖縄でも、学校、公共の図書館をいくつか手伝ったが、存分に手伝えたのがないので、これらの県立、市立、大学の図書館づくりに、計画の段階から手伝えたら嬉しい。


昨夏から始めた長崎市立小中学校図書館改修の2年目4校を実施しました。

 昨年の2校の改修のあと、のびのびになっていたのが、やっと4校いっしょに実現できました。市内全111校を東西南北の4地区に分けてあるのを、今年は、各地区1校ずつ、地区ごとに9名の司書が集まって、竹村先生と私で用意したレイアウトプランに従い、自主的、主体的に作業を進めるというやり方。教委から2人に、竹村、平湯、それに昨年からの向山市議さんも加わり、4校を巡回して、プランの説明をしたり、励ましたりという一日でした。


長崎市立小中学校の改修の巡回の帰り、司 書さんたちが玄関まで見送ってくれました。 2校目の帰る時、私たちにお礼を言ってくれたのがとても新鮮でした。それで、最後の4校目の終わりに、そのことを話して、こちらから要求して、挨拶をしてもらいました。 「大人なんだから当然でしょう」と、とがめるのでなくつけ加えました。非正規であっても、やはり、「礼に始まって礼に終わる」。司書の配置も待遇改善もそこから始まると思うのです。


県立長崎図書館についての私の新聞記事をもとに、市議会や県議会で質問なども。

 市民の図書館としての変革ということで立ちおくれてしまった長崎市では、やはり県立図書館といえば、郷土史家たちのための郷土資料館としか考えられないようです。今、肝心なことは、郷土資料だけでなく、100年にわたって蓄積されたきた研究調査のため資料を、研究者、マスコミ、官公庁、物書きのほとんどが集まるこの長崎市に残すこと、その30万冊ほどの資料を置いて利用できる建物を、現県立図書館の跡地に確保することで、これは、今しかできないということが、なかなかわかってもらえないようです。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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