研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.72


上五島の学校図書館と公共図書館の研修会に久しぶりに。(1月おくれ)

若松中学図書館のビフォーアフターは、入口の看板をつけてできあがり。それを満足そうに見入る畠本先生と中学生たち。

 高速艇で鯛の浦港に着くと、Aご夫妻ほかのお出迎えに恐縮。上五島と早くからおつきあいができたのはこのご夫妻の導きだったように思います。有川図書館ができたのもそのご尽力であり、ご高齢の今もしっかり図書館員たちの心の支えになっておられることが、3日間の滞在でよく分かりました。ご夫妻は、帰るときも埠頭でお見送りいただきました。こんな方のおられる島や町は、ほんとにはっきりちがいます。
 主だった5つの島からなるので五島といい、北半分を上五島、南半分を下五島といいます。北半分の5町が合併して新上五島町になりました。
 長崎から竹村さん、市議の向山さん、佐世保から山本さん、畠本さんで出かけてみんなで講師役をつとめました。新上五島全町の学校図書館と公共図書館の研修会で、午前は若松中学校図書館の手づくり改修、午後はすぐ近くの若松分館で手づくりサインのつくり方などで、大変喜んでいただきました。1日目は夕方着いて懇親会、2日目は本番と夕食会、3日目は、学校図書館2館に公共図書館3館を見学してアドバイスも。
 思いたっていただいたのは田原先生、中央図書館の平山副館長さんは行政から全面協力で3日間ずっとごいっしょいただきました。若松中の後藤先生の積極的な受け入れも嬉しいことでした。みなさんに喜ばれ、こちらもみな大満足の3日間でした。
 有川中央図書館も奈良尾図書館も若松分館も計画や改修など手つだいましたが、それぞれなかなかいいレベルにあるのに感心しました。そして、有川中央図書館のAさんが、開館した頃、私が言ったことなど聞かせてもらって嬉しく思いました。「行政では、どこも視察といえば、類似規模の近隣自治体を、ということになっていますが、図書館の場合、それは全く無意味。日本の図書館は今大きな曲がり角にあり、ほとんどがどうしようもないもの。九州には苅田町立図書館があり、才津原さんというりっぱな図書館員がいるからぜひ行きなさい」と私が言ったので、みんなでそのとおりにしたというのです。そして、才津原さんが能登川の館長になって、またそこを訪ねると、たまたま千葉治さんと漆原宏さんも見えていて、これがまたラッキーだったと話してくれました。思えば、いい図書館ができはじめたころ、そんなことを講演などでよく言ってたなと思い出しました。「僕の言うことをちゃんと聞いてくれてたんだ」「聞いてましたよ」などとやりとりしました。大切なことは、図書館でも人でも本でも、本物との出会いがすべてを決めるということです。それを生涯つづけること。


島根の学図研から岡山県立図書館、山梨県立図書館、そして埼玉福祉へ。

 共に図書館を県政の核においた片山元鳥取県知事と溝口現島根県知事の対談はすばらしかった。5年前の学図研大会の全体会の報告を最前席できかれたという溝口知事はりっぱです。全国から430名も参加してすべてみごとでした。
 帰り、岡山県立と山梨県立を訪ねて、最後は、埼玉福祉を訪ねました。埼玉福祉では、「インドネシアに本を送る会」の事務局のことや本の集積場所など、最初の基本的なことが了承してもらえて、いよいよスタートをきれそうです。


月末には、つづけて沖縄と埼玉から来訪。

ゆかりの深い沖縄から大きな用件で二方が来訪。埼玉からは、インドネシア行きの相棒U氏が出張で見えてお手伝い。夜は、インドネシアの思い出話と「本を贈る会」の準備。


 久しぶりに孫たちを訪ねると、「これ、僕が設計して作ったんだよ」と本棚を持ってきました。「枕元に置いて寝てるよね」と母親。 これで平湯モデルの後継者は安心。


 家のサボテンが、幾年ぶりかで、一夜限りのすばらしい花を咲かせました。蕾を出して1週間ほどのあいだ、老夫婦を幸せにしてくれました。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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