研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.70


長野県A町小中合併校の平湯モデル図書館の建築現場でお話しました。

 施主である町の方々にも、この図書館をあずかる司書の人たちにも、設計、監理の人たちにも、施工の方たちにも、私から直接話をしてもらい、納得しあって工事を進めていきたいということでしょうか。設計事務所からの依頼で、20名も集まってくださっている中で、私から話す機会をつくってくださったのです。こんなことをしてもらったのは初めてです。
 長野県は格別教育熱心な県で、「農婦が岩波文庫を読む」とは、むかし、きいた話です。岩波書店も筑摩書房もみすず書房も児童文学の理論社も長野県の人たちがつくった出版社です。町の方たちも司書の方たちも、監理の方たちも施工の方たちも、みんな新しい校舎ができるのを楽しみにしておられるようで、現場の案内にも力がこもっていました。できあがったら、ぜひ、この図書館で長野県の学校図書館大会をやっていただきたいものです。


先の長野につづいて、さらに北の県都へ行って、図書館を生きかえらせる話をしました。

 指宿の図書館問題研究会の大会から北へ飛びました。日本の図書館の発展を阻みつづけているのは県立図書館だといわれて久しいのですが、近頃、目の覚めるような県立図書館にいくつも出会えるようになりました。この県立図書館もそうでした。副館長さんも、今回の全県の学校、公共図書館の研修会の担当の課長さんも、この図書館生えぬきの女性であることからして、これまでの県立になかったさわやかさです。玄関を入るなり、これまでの県立の重厚さもどんよりとしたものもなく、親しみやすく、開放的でした。次に訪ねて市立中央図書館の担当者も生えぬきの女性課長さんでゆきとどいてさわやか、明日の本番前に訪ねたいと頼んでおいた、分館と小学校もしっかりアポをとり案内していただきました。県都の全小中学校に司書がいて、学校図書館支援室が4つもあり、全校を支援しているというのもみごとです。
 翌日の本番も、離島も含めて210名ときいていたのが、それを上まわる参加者でした。
 こんな県立図書館の玄関の木立に、読書週間になると、毎年、学問の神様といわれる梟が数羽やってくるようになって人気者というのですからおもしろいではありませんか。


インドネシアの学校図書館も大学図書館も公共図書館も国立図書館も訪ねました。(その2)

 インドネシアの図書館を訪ねて、やはり、日本の図書館は、ここ40年ほどのあいだにずいぶん発展したなという思いでした。一つの小学校からは、「お見せできない」という返事がきたのは、「ない」ということだったかもしれないと思いました。蔵書も、公共図書館も大学図書館までも、厚さ5ミリから10ミリぐらいのペーパーバックが多かったということからも、出版活動もこれからだと思いました。
 しかし、国立の小学校では、蔵書も少なく、小さな図書館でしたが、右の写真のとおり、ちゃんと専任の学校司書がいました。
 公共図書館も、オランダ時代のものから、今、新しいものができはじめたといったころかと感じました。大学図書館は、さすがにりっぱな図書館ができていました。しかし、日本語学科があるのに、日本語の本があまりに少ないのには、今、日本であふれている本を、少し古くてもいい、送る運動を始めなければと思いました。
 そして、国立インドネシア大学の全蔵書のうち、85%は英語の本で、10%がインドネシア語の本、残りの5%が、日本語その他の本ということ、また、国立中央図書館の蔵書の50%はオランダ語の本だということに、いろいろ考えさせられました。
 小学校から国立図書館まで、すべて写真OKだということも、久方ぶりにせいせいする思いでした。無神経は勿論困りますが、日本人のコンプラインスは度がすぎています。







 国立の小学校の小さな図書館では、校長先生(奥)も司書も、子どもたちも喜んで写真におさまってくれました。


 国立インドネシア大学の図書館で日本語を学んでいる学生たち。


 インドネシアで最高、最大というガジャマダ大学のできてまもない大学図書館。正面玄関は、平湯モデルと同じで、大きく全面シースルーに開かれていました。


 できてまもない、インドネシア国立中央図書館。館長さんともお会いし、いっしょに写真もとりました。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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