研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.068


昨年、還暦を迎えた「7人のさむらい」ならぬ「7人の熟女たち」と沖縄へ旅しました。

 みんなで踊るってこんなに楽しいことか。

 30代の中頃教えた娘たちの、昨年の還暦同窓会の二次会で、勤めも子育ても終えて、ひとまずほっとしたところで、「沖縄へ行こう」ということに。沖縄諸島歴訪70余回の私がまかされて、8年前の大学の同窓会とほぼ同じコースにしました。日本一人気のリゾートホテル、ブセナテラスで歓声をあげ、喜納昌吉のライブハウスでは、カチャーシーを踊って大満足、帰って打ちあげまで。両親のおせわなど、家をあけられない者もあり、やがてやってくるまでのしばしのときをという者もあったでしょう。高校生の頃の思い出と重なって、ふしぎな楽しい3日間でした。


学友が川崎市議32年間にとりくんだ多摩自然遊歩道を歩いて同窓会をしました。

川崎市北端、東京都に接する、幾多の歴史遺産を含む川崎市に唯一残る自然林を里山として開発の手から守った偉業です。未来永劫に残るかもしれない、とてつもない大きな仕事と思えて、同窓生一同で歩いて体験したいと思っていたのが実現しました。


 同窓会で多摩自然遊歩道を歩く。


中・高・大学と、私を東京で預かってくれた義姉を見舞いました。

 昨年4月に倒れて、その後、楽しくおしゃべりができるまでに、回復していたのが、再発をくりかえし、ほとんど反応がなくなっている義姉を姪の家に見舞いました。私が行くことを姪が告げると、明らかに大きな反応を示したと電話があり、訪ねたら、軌跡がおきるかもと期待したのでしたが、大きな反応まででした。中・高・大学、それぞれ一部ずつでしたが、焼け跡の残る、パンも切符で求めていた東京で、すごせたことは、私にとって大変大きなことだったように思います。東京から全国を見て生きてこられたように思うからです。


長崎県立図書館が大村市に移り、郷土資料だけが長崎に残ることになりそうです。

 ならば、どうするのがいちばんよいのか。出張のついでなどに、県立図書館と県都の図書館を訪ねるようにつとめています。今月だけでも、鹿児島、福岡、埼玉、横浜などを訪ねました。
それぞれが、幾度目かの訪問ですが、それぞれの館が、それぞれに懸命に求めてきたあとから、長崎県立図書館をどのようなものしたらよいのか、長崎市立図書館の問題もいっしょに考えていきたいと思っています。


帰ると、20数年ぶりの人たちからの電話がつづきました。

 「今、町の教育長をしていて、新校舎をつくっています。まだご存命だろうかとネットで探していたら、全国をかけまわっておられるのを知り驚きました。ぜひ協力願いたい」と、遠路4人で来訪されました。もう一つは、ずいぶん北の県立図書館から、県下の公共図書館の研修会に来てほしいと電話がありました。昔、高校の学校司書をしていた副館長さんの推薦とのこと。そういえば、「なんで、近い東京や関西からじゃだめなのか、と県教委に言われつづけて、やっと3年目に実現しました」ということがあったのを思い出しました。


たかしよいちさんのご退職と千かま八重子さんの被災からの再出発をはげますつどいに出席。

 それに、高橋純一さんがかかわってこられた方で亡くなられた小宮山量平さんや鳥越信さんはじめたくさんの方たちを偲び、新しい思いを語るなど、午前10時から午後9時まで11時間に及ぶ大宰府でのつどいに妻と参加しました。トイレに行けないほどおもしろい話がつづきました。1泊して、翌日は、九博で「ベトナム展」を見て帰りました。


 たかしよいちさんには、九州の子どもの本と 図書館のためにどれほどつくしていただいた ことか。


納得のいく学級文庫棚が完成しました。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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