平湯文夫の研究所だより No.057
このところずっと愛知のパンフの第2弾、第3弾を準備しています。
『平湯モデル図書館家具カタログ』と『こんなところで平湯モデルの図書館は見ることができます』の2冊です。かなりバージョンアップもでき、またすっきり整理もできました。これでなんとか本格始動の準備ができたというところです。
卒業50周年記念同窓会に国境の島対馬へ
みんな年をとって、自分の中・高校・大学の同窓会と教え子たちの同窓会がつづいた。
今回は、勤めはじめて3年目、25歳の時、高校1年生のときだけ受けもった教え子たちである。
空港に迎えてくれた4人の名前がよどみなく言えて、会場の玄関では、姓を名のった教え子の下の名前を続けて言ったのですっかり盛りあがった。
卒業20年目に始めて招かれたとき、最初の挨拶で、「クラス全員、顔も名前も覚えている」と言って、そのとおりにやって喜ばれた。ここでは「受験で高得点をとらせる」ことなど考えなかった。だから、成績は上の2人だけ覚えているが、あとはほとんど全く覚えていない。個性はそれぞれに覚えている。名前を覚えていることは人格でかかわってきたこと。「未熟なときで申し訳なかった」というと「未熟なことは教師として欠陥ではありません」といったのがいて、「歌をたくさん教わり、夢をいっぱいいただきました」とも言った。
いい受験指導をしていたら、1ランク上の大学に行けていたかもしれない。しかし、どうなのだろう。同窓会には、背広にネクタイの者とクラスの役員しか集まらず、ほかは別会場というようなのもある。
フランスの詩人アラゴンの「学ぶとは誠実を胸に刻むこと。教えるとは希望を共に語ること」が、学ぶことと教えることの真髄を言いつくしている。受験教育には「希望を共に語ること」を忘れさせるところがある。この頃に、わが子たちも育てられていたらよかったと思う。41歳でキャリアチェンジをして、図書館の夢を語りつづけられたのは幸せだった。
薔薇の好きな妻に乞われて東洋一と称する薔薇園を訪ねた。
それはそれはすばらしかった。これは、ほんとうに質も広さも東洋一かもしれないと思った。まだ一度も薔薇を贈ってもらったことがない、といわれてきたので、二つ返事で同行したが、さすがにご婦人方ばかりで、婦人服売り場に迷いこんだ感じ。
1600年、三浦按針が大分に漂着したというデリーフデ号をほぼ忠実に復元したというのも繋留してあり、乗船してみた。全長わずか25メートル、250トンという大航海時代の船を体験したのは、僕には薔薇よりも大きな収穫だった。それより100年以上も前、さんざん難航したコロンブスの船はもっと小さかったはず。大航海時代にリアリティが増してくる。
先日、テレビで見たが、粉挽きぐらいと思っていた風車で、大きな材木の製材までやっているのを見て驚いた。知ることはほんとに楽しい。
浅川巧という、こんなりっぱな人がいるものだろうか
浅川巧という、こんなりっぱな人がいるものだろうかという人の映画と本がどうしても紹介したかった。1914年、植民地統治下の韓国に渡り、林業技術者として働きながら朝鮮をこよなく愛しつづけて、今、韓国の高校教科書にものり、その墓は詣でる人が絶えないという人のことです。映画はこの6月、東宝系でロードショウ。本は8年前、自分の小学校の先輩にこんなりっぱな人がいたことを知った中学生によって書かれた驚異的な本。『日韓交流のさきがけ 浅川巧』椙村彩著、揺籃社刊、1000円