研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.052


95歳の義姉と井之頭公園をデイト

 戦後、まだ焼け跡の残る食糧難の東京で、中3の私をあずかってもらって以来、高校、大学も世話になった義姉を、半日、井之頭公園に誘った。電車で10分。井之頭公園は、手押し車を押しながら自分で歩けるだけは歩いて、あとは手押し車に腰掛けたのを私が押して、公園の手前半分を2時間ほどかけて一周して帰った。別れるとき、「子どもたちが小学生の頃遠足で来て以来よ。よく思いついてくれました。ありがとう」と言ってしっかり握った手を放さなかった。
 その2週間後、この春、義兄を失った84歳の姉を、鯉料理に誘って思い出話に時のたつのを忘れ、近くの大宰府天満宮を散歩。
 実兄も義姉も義兄も実姉も、そのほかいっぱい、それぞれに、まだこんなに豊かでなかった時代に、よく面倒をみてもらったものだと頭がさがる。
 それにひきかえ、自分は、世のため人のためとはいえ、自分の仕事と図書館のことに熱中し、身近な者たちをかえりみることが少なすぎたと思う。
 めんどうをみてもらった人たちのほとんどはもうこの世にいない。できることといえば、わずかに残る人たちに、「ああ、喜んでもらえることを自分はしてきたのだ」ということをかみしめながら余生をすごしてもらえるよう、こんな、ささやかなことをするぐらいしかできない。
前号に書いた伊藤さんと1日共にできなかったのもかえすがえす残念だった。遠出しないでお話しするのは大丈夫だと思うので、そのうちぜひ。
 ホームにあずけている97歳の義母ももっと訪ねてあげたい。30歳そこそこで夫が召集されたまま寡婦となった義母が、「隠しとけばよかった」としか言えないのはなんとも切ない。
 暮れには、映画で「山本五十六」を、テレビで日系アメリカ人の強制収容所のドラマを見た。「坂の上の雲」も見たが、これは、戦争や国家主義の肯定に資することはないか。太平洋戦争を強行した者たちと阻止しようとした人たちの所業はもっともっと明らかにされつづけなければならない。


僕と同い年の文化財の建物を分館にする市民のつどいに招かれました。

 まわりに高い建物も少なく、整備されたら、この街に住む人たちのよりどころにもなり、外来者にはランドマークにもなるにちがいない建物である。
 図書館は、まず、やさしく、親しみやすく、楽しくなければと言いつづけている私に、なんとか加わってほしいととりくまれたつどいだった。市議の方たちもいっしょに、市の担当者に案内していただいて、1年ほどかけて準備なさった改修計画も見せてもらった。肝心の耐震補強などしっかりなされているようだが、率直に言えば、ご多分にもれず、なかなか、やさしくも、楽しくもなりそうにない。図書館の建設や改修にとりくむ姿勢が大きくちがう。
 耐震構造のこともよく分からず、平面図だけをもとに考えたかなり乱暴なものながら私の案も用意してあった。大きく変えることはむずかしくても、それなりに変えることは可能だし、外の地区の分館の計画もあり、学校図書館の改修にも役立つということで、私の計画も率直に話すことにした。私が実際にやってきた新築、改修のスライドショーも見ていただきながらの話だったので大変明快だったとの評。議員さんも5名参加とのことで頼もしい。

 では、よいお年を。来年もどうぞよろしく。



この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


研究室だよりの目次へ戻る




関連するエントリー

最新のエントリー

エントリー一覧へ >