研究所だより

平湯文夫の研究所だより No.049


吉田松陰ゆかりの萩や金子みすず記念館も案内していただきました。

 山口の図書館へのお手伝いに3年越しででかけてきたのですが、そのお返しのこころづかいだったようです。
 小学校教師をしていた父の持物などに西郷隆盛や福沢諭吉や吉田松陰のおもかげをみていました。父が、私の社会への門出にあたり、座敷いっぱい書い て広げた半紙の書の中から一枚を選んで黙って渡した「至誠」のことばも松陰の「至誠而不動者未之有也」からにちがいないと思いました。西郷も松陰も牢の中から講義をしました。西郷の牢は今も奄美の沖永良部島に見ることができますし、松陰の松下村塾は今もそのまま残っていました。
 金子みすずの記念館は、みすずの実家の本屋「金子文英堂」をそのまま復元した、そのうしろにつくられて、その金子文英堂が記念館の入口になっているのはみごとでした。みすずはこんな片田舎(ひどいかな)の本屋に育ってあのすばらしい感性をはぐくんだにちがいありません。本はすばらしい。みすず記念館は、古い街並みを保存した「みすず通り」の真中にありました。


松陰神社の境内の資料館も「至誠館」でした。


松陰神社の境内の資料館も「至誠館」でした。


 みすずの26年の人生はドラマですが、半世紀以上埋もれたままのみすずを掘りおこし、そのあと、日本中だけでなく、国外にまでも知らしめている矢崎節夫の仕事もすごいと思います。「みんなちがって、みんないい」は、国際政治から私たちの日常生活にも大切なことだったことを考えさせてくれます。
 萩市立図書館の古い資料はみごとでした。山口県立図書館よりも前に創立されたということです。3年前に案内してもらった、今は萩市に合併された明木村立図書館は、日本最初の村立図書館として知られています。萩市立図書館の古さも、明木村立図書館の古さも松陰にかかわりがありそうです。このあたりのことについて書かれたものがあったら教えていただきたい。


平湯モデルによるレイアウト依頼が次々と愛知に届いています。

 これまで、図書館の現場やボランティアからの依頼が多かったのに対して、施主である行政や私学法人と設計事務所からのものばかりです。
 新しい教育に対応した学校図書館のレイアウトプランとして具体的に示されたものを、私はまだ見たことがありません。教育委員会でも私学法人でも設計事務所でも、ノウハウがなく、やりようがなくておられたらしいのがよく分かります。


 そこで、通常、業者がやるように、施主や設計事務所が準備したものにそのまま従って、受注、施工するのでなく、これからの教育にしっかり応えるプランをはっきり示すことにしました。例え基本設計が出来あがっていても、さらに、入札もすみ、工事がはじまっていても、これから半世紀も使いつづけることを考えていただくよう提案だけはしていこうというわけです。
 せっかくの仕事を失うリスクはあっても、それをしなければ平湯モデルをやる意味がないと思ってきたからですが、今のところ、この姿勢は、施主にも設計事務所にもかえって信頼をえて、頼りにされているところがあるようにみています。


先月、ちょっとふれた名古屋の「愛知」に できた平湯モデルのショールーム。 本はこれからです。


この記事は、2003年7月1日から平湯文夫先生が自身のホームページ「図書館づくりと子どもの本の研究所」に掲載した研究所だよりを再編集して転載したものです。


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