平湯文夫の研究所だより No.028
山梨県高校司書の方たちの研修会に
いつもながら、行くからには、その地になにか新しいうごきを起こさないことにはと、今回もまた、研修会前日の午後から、ご希望の2校の図書館を訪ねて、より魅力的な図書館にするためにいっしょに考えました。どこを訪ねても、最初の学校図書館計画そもそもの問題にぶちあたります。
魅力的にするのは大変だと思いましたが、それでも、まず、私を迎えようとなさったこと、また翌日お会いしたとき、大変でもなんとかとりくんでいきたいと意欲を示されたのは嬉しいことでした。
そのうちの1校が淺川巧の出身校だったのは奇遇でした。淺川巧は、兄の伯教とともに柳宗悦を朝鮮に導いた人であり、植民地下の朝鮮をこよなく愛し、雨森芳洲と共に日本と朝鮮のあいだにはかりしれない深い絆をつくりあげた人です。
翌日の午前中も、会場校の図書館に希望者に集まっていただいて、この図書館を、より魅力的にするすべをみんなで考えました。
自主参加というのに半数以上の参加があったのは嬉しいことでした。
大学図書館を平湯モデルで優しくしたいと言うことで
図書館をハード面から魅力的にしましょうという平湯モデルの提案になかなか関心を持ってもらえない図書館研究者の中で貴重な存在である種村エイ子教授が図書館長になられました。さっそく、館内に入ったところ、メインカウンターまわりだけでも平湯モデルで優しく魅力的にしたいということで、鹿児島まででかけました。
大学図書館づくりは、30年以上も前、キャリアチェンジして勤めることになった純心女子短大の図書館づくりにかかわったあと、7年前『情報の科学と技術』誌に「どうしたら親しみやすく心地よい大学図書館ができるか』について書いたことがあるだけでしたので嬉しく、できあがるのが楽しみです。
初任校の教え子たちの同窓会で京都へ
初任校(高校)の3年間のことは忘れられません。いつだったか、「全く未熟なときで、申し訳なく恥ずかしい」と言ったのに和尚をしている教え子は、「未熟なことは教師として不適格なことではありません」と言ってくれました。和尚はやはりちがう。女性の教え子は「夢をいっぱいいただきました」ともいってくれました。その後、2校目、3校目と、熾烈な進学校に移るにつれ、アラゴンの「教えるとは希望を共に語ること」から離れてしまい、42歳まで、教師になった初志を貫けなかったことを悔いていたところに、この2つのことばをきいてからは、元気なかぎりこの教え子たち(65歳)の同窓会には参加させてもらいたいと思うようになりました。
翌日の大原三千院、寂光院もすてきでした。
次は3年後、卒業50周年にということです。
初めて腰を痛めて、歳を感じた年でしたが、ますます多忙な年でもありました。図書館のプランをいくつもやったので、来年再来年の竣工が楽しみです。
よいお年を。